巻頭言

読書

2025/10/28

東京大学社会科学研究所とベネッセ教育総合研究所が、10年にわたり同じ母集団に調査を続けたところ、1日の中で読書しない小・中学生・高校生の割合が1.5倍になったことが分かったということが記事なっていました。同時の調査では、スマホの使用時間が読書時間に与える影響は、学年が低いほど大きいことが示唆されています。また、保護者が「自分の能力を高めるための勉強をすることがある」と答えた子どものほうが、読書をしない割合が低かったこともわかりました。保護者が学ぶ姿勢見せることは子どもへの手本になるようです。様々な調査で読書と学力の関連が示されています。10月の園だよりにはこんなことを書きました。

[秋といえば、いろいろなことを連想します。その一つに「読書の秋」というものがあります。最近は、秋は読書に適した季節であるというには暑すぎますが、もともとは、中国の唐時代の詩人である韓愈の詩が由来だといわれています。彼の書いた「符読書城南詩」は、秋の夜に灯りの下で読書を楽しむことを勧める内容だそうで、この詩を夏目漱石が小説『三四郎』で引用したことで、日本でも広がったそうです。 また、毎年10月27日から11月9日までの2週間、「読書習慣」が開催されています。この期間は、アメリカのチルドレンズ・ブック・ウィークと日本の文化の日が影響しているそうです。以前、10月にオランダの小学校に視察に行ったときにオランダでも読書週間でした。見学した小学校では、ある時間、生徒全員が廊下に出ます。すると、各教室の入り口で、そのクラスの担任が、「私のクラスではこの本の読み聞かせをします」とPRして、子どもたちは、自分が聞きたい絵本を読み聞かせてくれる教室に入って、聞いていました。

先日、文部科学省は、小学6年と中学3年を対象に実施した2025年度の全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の成績とアンケート調査の分析結果を公表しました。設問に対し、根拠を明示して文章にまとめる記述式問題で苦手な傾向があったそうですが、読書が好きな児童生徒ほど成績が良く、家庭の蔵書数とも相関関係がみられたということが公表されていました。文科省の担当者は「読書は、各教科の言語活動を支える基礎であり、本を身近に感じる取り組みが重要だ」としています。

このような研究はいろいろとあります。令和3年3月発行の「子どもの頃の読書活動の効果に関する調査研究」(国立青少年教育振興機構 青少年教育研究センター)では、子どもの頃(小学校高学年、中学校、高校)の読書量が多い人は、そうでない人よりも意識・非認知能力や認知機能が高い傾向があるとあります。それに引き換え、本(紙媒体)を読まなくなった人は、年代に関係なく増加しているといいます。1ヶ月に読む本(紙媒体)の量を経年比較すると、「0冊」と回答した人の割合は、年代に関係なく、平成25年では28.1%でしたが、平成30年では49.8%と約20ポイント増えているそうです。一方で、携帯電話やスマートフォン、タブレットなどのスマートデバイスを用いて本を読む人の割合は増えているそうです。また、 携帯電話、スマートフォン、タブレットを利用した1日あたりの読書時間を経年比較すると、年代に関係なく、15分以上と回答した割合が増えています。

先日発表された「全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)」の一環で実施された「経年変化分析調査」で、小学6年と中学3年のスコアが3年前の前回を下回ったことで様々な原因が取りざたされていますが、読書量にも関係があるかもしれません]

 

成長展

2025/02/13

そろそろ年度が終わろうとしています。

巻頭言2015年度3月号ではこんなことを書いています。

「今月で今年度が終わります。すいすい組の子たちは、いよいよ小学校に入学です。保育園は、0 歳の頃から在園する子たちも多いので、その成長ぶりには目を見張るものがあります。
先日、ある園の保育士さんから「せいがでは、0 歳児の子どもたちも食事のあとで、使ったエプロンを手提げ袋に自分でしまいに行く子が多いのですが、どうやって、そのような指導を行なっているのですか?」と聞かれました。その時に答えたのは、「私の園の環境は、自分より少し発達が進んでいる、異年齢の子たちを見る機会を多く作っています。その子たちを見ることで、真似をしよう、自分のやってみようと思うようです。人の真似をしようと思うのは、人間の特徴だと言われています。また、見られている子の方は、自分を手本とされることで、自信を持ち、しっかりしようと思うようです。どちらにとっても、異年齢での行動の見合いは、発達に刺激を与えているようです。」と答えました。
心学研究家であった小林正観さんは、こんな言葉を残しています。「目が見えることがありがたい、耳が聞こえることがありがたい、話せることがありがたい、食べられることがありがたい、歩けることがありがたい、私たちは日々無限の恩恵を受けて生かされている。」
見る、聞く、話す、食べる、歩く、このような当たり前と思っていることを、子どもたちは成長の中で日々獲得していっています。その姿は感動的です。年度が修了するに当たって、このような成長を確認し、保護者と共に成長の喜びを感じてもらおうと企画するのが、今年度最後の行事である「成長展」です。それぞれの年齢、それぞれの成長を、ご覧ください。
その子なりの、その子らしさにおいて、ずいぶんと成長している姿を見ることができると思います。」

節目

2025/01/06

園の節目は、学校教育同様、日本では4月1日から新学期というようなイメージがありますが、年の始まりである1月は、昔から特別な感覚がありました。そのために、園だよりの1月号の巻頭言では、気持ちを新たにするような内容を書いていました。2011年の1月号を紹介します。

「節目

現在は、お正月と言うと、初詣、お雑煮、お年玉といったイメージがありますが、かつては、商売においても、人生においても重要な意味がありました。商売では、1年の借金を清算して、新たな年を迎えようという人が多かったようです。また、人生にとっての節目はひとつ年をとった時ですが。年齢が数え年で数えていた時には、正月が節目だったかもしれません。
暮らしの中でも人生に節目を祝うものがあります。これは、「冠婚葬祭」と呼ばれるものです。「冠」とは、もともと成人式の時に冠をかぶることが出来るようになったということから来ていますが、今では、人生の節目のお祝い行事のことを言います。これには、七五三、入学、就職、退職、開店なども含まれています。「婚」と「葬」は分かりやすい節目です。「祭」とは、もともと先祖の霊を祭ることを言いますが、今では、四季折々の年中行事とか、風習をさします。そのひとつが、大みそかや元旦です。この大みそかや元旦はそれ自体が節目ですが、自分の人生や生き方を考える日としてとらえる人もいます。元旦には、新たな決意を持ちます。「年の初めの決意」「今年の抱負」「今年こそは、」と思うのも、元旦かもしれません。初詣に行った時も、そんな願いを託したり、決意を表明したりします。

皆さんは、今年はどんな年にしたいでしょうか。それは、国家にとってのこともあるでしょうし、人生の過程でのこともあるでしょうが、子どもたちは、今年は、どんな1年を送るでしょうか。子どもたちのとっての1年は、とても重要です。それは、1年の発達には目覚ましいものがあるからです。そして、その一つ一つ、一時期一時期が大切であり、二度と戻ることない瞬間です。初めて立った時も、初めて喋った時も、その瞬間は、一生に一度しかありません。是非、その瞬間を見逃さないようにしてください。知らないうちに歩くようになったというと、感動や思い出が一つ減ってしまいます。」(2011年1月号)

これからの育児

2025/01/01

あけましておめでとうございます。

ブログの掲載も、しばらく休んでいました。

しかし、今年は6年ぶりにドイツに行くことになり、その報告がブログからできそうです。

それまで、気負わず、少しずつ皆さんに参考になるようなことを書いていこうと思っています。私は、毎月の園だよりに書いている巻頭言がありますが、保護者の何人かから、過去のものを読みたいという希望があります。そこで皆さんにも参考になる部分があるかもしれないと思い、過去のものを再掲載してみようと思います。

今年は、私のテーマは、「子ども主体」ということです。ちょうど2009年の1月号に、その内容に触れている部分がありますので、それを紹介します。

「これからの育児

最近、赤ちゃんの観察することが多くなりました。それは、赤ちゃんが生まれながらにして、実にさまざまな能力をもっていることに感動するからです。これまでは世間一般では、子どもという真っ白なキャンバスに、さまざまな色や形の線を引いていくことが育児であり、教育であるという考え方がありました。しかし、最近の研究では、人は生まれながらにして能動的な生き物であるとも言われています。赤ちゃんは受動的な生き物で、自分では何もできない、何も知らないから、やってあげなければということではなく、わたしたちは、持って生まれたさまざまな能力のうち、必要でないもの、他の競合する能力は次第に欠けていき、生きていくのに必要な能力を、より高度に研ぎ澄まし、大人は、ある意味では上手に様々な能力を減らしていくことを手伝うことが育児だと言われてきています。

新しい考え方では、さまざまな色、さまざまな線が交じり合った複雑な絵の中から、子ども自身がその時に応じた必要な色を引き出し、余分なものをそぎ落としていく、その手伝いをすることが育児であり、教育なのです。ですから、エデュケーションという教育という英語の語源は、引き出すということからきているのです。

そして、その目指すところは、子ども集団の中から、主体性を確立していき、自分では何ができ、なには他人にやってもらうかという社会の一員である意識を次第に持ち、自律をしていく姿を促していく姿勢でもあるのです。もともと、日本人は受容と共感をもって自己を主張していくことが得意技でした。保育園という子ども集団の中で、子どもたちが自ら環境に働きかけることによって発達していくという考え方を支える保育を心がけていきたいと思います。」(2009年1月号)